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2005 年09 月05 日

法学提出課題:4000字レポート 3

 ここで死刑の代用刑として終身刑を使用する、というものを考えてみようと思う。終身刑は、苦しい懲役を寿命まで続けなければならない、といった捉え方もあれば、逆に大罪を犯しておきながら生き永らえる、といった全く逆の捉え方も有り得る。ただし多大な税金が使われる事になる。また、刑務所がパンクしているというニュースを見た事もある。このお金の関係の問題は無視できない大きなものだ。最高警備の刑務所では1つ部屋を作るために約1000万円かかり、また、一人の受刑者には年間約800万円のお金がかかるらしい。これらのデメリットを考えると終身刑で代用するという方法はどうやらやめておいた方が良さそうである。やはり、個人的には終身刑を取り入れるよりは、前述の一定期間懲役後の死刑の方が合理的な気がする。
 さて、次は被害者側の感情からのアプローチを試みようと思うが、被害者を慮ると死刑制度廃止を考えるわけには行かなくなってしまう。人間の基本的な感情である「愛」や「悲しみ」を考えた場合、死刑廃止といった考えは浮かばなくなってしまう。無論そういった感情だけで物事を捉えるわけには行かない。だが、もし仮に被害者感情を最優先する場合、最も有効な解決方法は予め個々が死刑制度についての立場を明確にしておき、そしてその立場に応じた刑を執行する、というものである。死刑にすべきかどうかの最終判断を、死刑制度賛成論者を殺害した場合、その者は死刑、逆に死刑廃止論者を殺害した場合、その者は死刑にはならない、といったものにすれば良い。誰もが納得良く結果になるだろう。殺害された本人が決定しているのだから。
 この被害者感情からのアプローチはある意味最も人間らしい論理展開を行うが、私個人の合理的な思考が出来なくなる恐れがある為、向いていないようだ。そういった理由で、私はここで逆に死刑囚の立場から考えてみる。ここで、私が死刑囚の立場から考えるにおいて、根本的に見落としていた事実に気付いた。抑止力という重要な点である。そもそも死刑制度が実施されているにも関らず凶悪犯罪を犯している、という事は、逆に死刑囚は死刑を進んで選択している、と考える事もできるのではなかろうか。飲酒運転が交通事故に繋がる可能性があるという事を理解しておきながら事故死に遭うようなものである。こう考えると死刑制度が存置される事は決して残虐な事では無いと思われる。その死刑が宣告された者は所謂「飲酒運転」をしていた者であるからだ。刑法という契約の元、犯した罪にどうこういう必要は無いはずだ。
 さて、最後に基本的人権の観点から見た場合を考えてみる事にする。加害者の人権も同様に一国民尊重するべきだ、という意見が出てくるが、そもそも加害者は被害者の人権を奪い、もはや国民としての人権を放棄していると言えるのではなかろうか。国民としての権利は放置したまま獲得できるものではなく、国民自身が日々弛まぬ努力によってそれを維持する必要があるのだ。それを自ら放棄しているのであるから、加害者を国民として同等の扱うのは異常な話である。

投稿者:未定at 07 :55| 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

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